新入職員林のインド放浪記

    皆様初めまして。今年から新たに当事務所に入所することになりました林です。
    世界同時不況のあおりを受けて、皆様方にとって大変な昨今であると存じますが、力の限り皆様と共に成長していきたいと願っております。どうかよろしくお願い致します。

    さて話は変わりますが、入所前の1月末から2月にかけての2週間ほどの間、単身インドを旅して参りました。
    新人である私について皆様方に少しでも興味をお持ち頂ければと思い、その旅行記を書きました。
    ぜひご一読のほどよろしくお願いします。

    発端

    きっかけは中学3年の部活帰りでした。同じ部活の友達に「これはすごいよ。」と言って本を貸してもらいました。
    「香港から陸路を定期路線バスを乗り継いでロンドンまで辿り着けるか」
    というあまりにも馬鹿馬鹿しい賭けから始まったノンフィクション・ライター、沢木耕太郎26歳の時の大旅行ルポルタージュ、「深夜特急」という本です。
    一人旅などしたことなかった林少年は、読み始めてから最後まで興奮しっぱなしでした。
    旅というものは寂しくて切なくて、それでいてとても面白いものなんだ、そして一人旅とはつくづく自分の内面と向かい合うものなんだと、私自身、多感な時期に出会えたこの本の衝撃はいまだに忘れられません。

    そして、それから7年。
    大学生活の最後の締めくくりにと、出発一週間前に、大反対の両親にばれないようこっそりちゃっかり購入しておいたインド行航空券を母に見せ、一言
    「インドに行ってきます」
    とだけ伝え置き、とっととインドに旅立っていきました。

    1日目☆出発〜デリー到着

    出発の朝、どうも体の具合が良くないと感じて体温を測ってみました。なんと38.2度ありました。これは完全にアレです。
    でもまさか今更逃げられません。
    ただでさえ母は心配しているので、頭痛い素振りなどおくびにも出せません。
    問題はどうやって解熱剤を用意するかでした。
    常備薬として正露丸と大量の梅干しだけ先に用意してもらっていたので、出発前になって解熱剤とは言いにくい。
    そこで少し賭けに出てこんなやりとりを始めました。
    「インドで風邪とかひいたら怖いよなぁ」
    と。すると母は無言のまま風邪薬を差し出し、
    「これ使うような時が来たら必ず帰ってきなさい」
    と言いました。
    玄関出たら早速使うけどね!
    そんな風にしていざ関西国際空港まで向かいました。
    買ったばかりのバックパックを背負っていると、見慣れた街並みの中を歩くだけでウキウキしてしまいます。

    10時に関西国際空港に到着し搭乗手続きを済ませると、体調不良からか急にお腹が痛くなって急いでお手洗いへ向かいました。
    まだインドにも行ってないのに完全にアレでした。さすがに不安になってきました。

    12時半になって少し遅れて飛行機が飛び立ちました。
    あぁ…、さよなら日本。

    僕が乗った飛行機は首都デリーまで直通のエア・インディアという、インドの会社のものだったので、CAの人は全員インド人でした。
    もれなく額にインチキくさい赤い点をつけています。
    「ナマステー。ウッジューライクァウォーター?(こんにちは。お水はいかが?)」
    「プ、プリーズ!(く、ください!)」
    よかった。何とかインド人と会話できる。そう思った矢先、
    「わたる!わたーる!」
    と後ろの席の方から誰かを呼ぶ声が聞こえました。
    …と思いきや、CAのおばさんは即座に水を入れてその叫ぶインド人に持っていきました。
    なぜ!?
    あとで気づいたことですが、インド英語はローマ字読みが混じっていて、特にrを「ル」と発音する人がほとんどでした。それで、
    「water=ワター(ル)→わたる」
    と聞こえるのでした。わかりにくい…。

    そんなこんなで飛行機は現地時間の夜9時(日本では深夜12時半)に首都デリーに到着し、入国手続きを済まして荷物受取ベルトの前に行きました。
    待つこと10分。
    30分。

    あれ!?おかしいぞ!流れてこない!
    貴重品はすべて機内に持ち込んではいたものの、バックパックが初日のうちに盗難に遭っては大変です。
    急ぎ足で空港の警備員らしき人のところに向かい、拙い英語で事情を説明してみました。
    しかしうまく伝わらず、怖そうなインド人はイライラしはじめてるように見えました。
    そこに他の警備員がやってきて、僕は怪しげな事務所に連れて行かれました。
    この時点でもう僕は、この初めて海外旅行はゲームオーバーだと思いはじめていました。不安に押し潰されそうでした。
    そんな思いを抱えたまま恐る恐るその事務所の中に入ってみると、今までの不安が一気に吹き飛びました。なんと空港スタッフの方が僕のバックパックを保管してくれていました。
    僕はどうやら受取口の場所を間違えていたようでした。
    そのスタッフの方は僕に、一つだけずっと回り続けているのを見て、ドジな旅行者もいるもんだと面白がっていたんだ、とわかりやすくゆっくり告げてくれました。
    インド人は信用してはいけないと心に決めていましたが、この方の優しさに触れ、一人でも何とかやっていけそうだと安心できました。
    国境も言葉も越えて、人は優しさで繋がっていけるんだと。

    ゴミの街、デリー

    なんとか荷物を手にした僕は、空港の両替所でUSドルをルピーに両替しました。
    1万円分を提示すると、ドサッと音がするほどの札束が目の前に置かれてびっくりしました。
    しかも受け取った紙幣のほとんどは油汚れでふにゃふにゃになっており、余白部分に計算用のメモ書きがされてあるものなどもありました。
    インド人の皆さん、もっとお金は大切に扱ってください。

    両替が済むと次は宿探しです。
    しかし困ったことに、空港からデリーのホテル街までは20キロほど離れていて、何か乗り物を使わなければいけませんでした。
    そこでタクシーを探そうと空港の外に出ると、待ってましたとばかりに、旅行会社の看板を抱えた見るからに怪しげなおじさん達が蟻のようにうごめいていて、出てきた観光客をあっという間に取り囲んで勧誘しています。
    こんな所ではまともな宿は到底見込めないと思い、ガイドブックで良策を練りました。
    すると空港の到着ロビーは詐欺師ばかりで危険だが、出発ロビーは警察が取締りをしている上に、街の中心部に戻ろうとするタクシーばかりで比較的楽に空車を見つけられると書いてありました。
    それで意気揚々と出発ロビーに行ってみると、今度は道路の喧騒に腰を抜かしました。
    2車線しかない道を4台の車が並んで走るわ、家族らしき集団がバイクに5人乗りしてるわ、そんな道路を横断しようと歩行者が飛び出すわ、もう無茶苦茶でした。
    この国の交通ルールはひとえに特攻精神で成り立っているようです。

    しかし僕も向こう側に渡らねばならず、意を決して横断を試みました。なんとか渡れましたが、やはり突っ込んできた乗用車に轢かれかけました。
    余談ですが「轢く」って漢字が車偏に楽しいっておかしいと思います。

    夜も更けはじめているのにまだ空港を出られず、宿も見つかっていないということで、僕は客を送り終えたタクシーを半ば強引に捕まえ、デリー中央部のメインバザールまで行ってもらうよう指示しました。
    運転手の提示した400ルピーで手を打ち、すぐに向かってもらいました。あとでガイドブックを見ると相場は150〜200ルピーと書いており、即決したことを少し後悔しました。
    ちなみに1ルピーは日本円で約2.5円なので、料金は約1000円です。

    メインバザールに到着して、やっとインドに来たんだという実感が湧いてきました。想像してた通りかそれ以上に、目も当てられぬ粗雑な街でした。
    日本で言えば東京の八重洲通りにあたるはずのメインストリートは、一歩踏み出せばゴミ、糞、ゴミ、糞。道は舗装すらされておらず、野良犬がそこかしこにやる気をなくして眠りこけ、街路樹の代わりに生ゴミの袋が山のように積み上げられています。
    そして、無数の野良牛が我が物顔で道の真ん中を闊歩しています。もう一度言いますが、日本で言う八重洲通りにあたるメインストリートを、です。
    なんて楽しい国!

    そんな道を足早に歩いて宿を探し始めると、案の定何人もの客引きが言い寄ってきました。ノーサンキューと連呼してるのにずっと付いてきます。あまりにしつこいので、目についた安宿に飛び込んで慣れないままにチェックインをしていると、まだ客引きは僕のそばに立っていて、
    「紹介料で50ルピーいただきます。」
    と言っています。誰が渡すか!

    この先もそうですが、とにかくインド人は図々しかったです。人の気持ちは関係なしといった具合でどんどん言い寄ってきてはお金をせびってきます。

    そして明日、そんなインド人に根負けして、この旅最大の大失態を犯してしまいます。

    2日目☆旅行会社の商人

    逃げついたそのホテルは一泊300ルピー(日本円にして750円程度)と、インドの中ではごく一般的な値段のところで、とても綺麗とは言えないもののゆっくり休むには充分な部屋でした。
    やってきたボーイさんにビールを持ってきてもらい、テレビをつけてベッドで横になりました。

    インドのテレビはあまりにも誇大表現が多くて笑えました。一般的なドラマなのにほとんどが喧嘩してるシーンで、相手を殴るたびに「バシッ!」とか「ガターン!」といったような人間の体から鳴るはずのない、ゲームの効果音のような音が散りばめられていました。

    少ししてシャワーを浴びて疲れを取ろうとしたんですが、インドではお湯の出るシャワーは高級で贅沢品らしく、そのホテルももれなく水シャワーしか出ないところだったので仕方なく寒さをこらえて水で体を洗いました。インドでも2月の夜はだいたい10℃以下になるので、本当に寒かったです。

    朝起きて窓をあけると、外は行き交う商人たちの声で活気づいていて、今日はその中を僕も歩いていくんだという期待と不安で胸が躍りました。

    お腹がすいていたのでホテルのボーイさんに
    「おいしい朝食を出してくれるお店はないか」
    と聞くと、とあるビルの屋上にある、デリーの街を一望できるレストランに連れて行ってもらい、朝陽を浴びながらハニーブレッドをかじりました。
    喩えが悪いですが、魔女の宅急便の魔女キキが、初めて海辺の街を見つけたときのような、そんな爽快さでした。

    お腹もふくれて、明日の朝に出発する電車の切符を買いに行こうと、意気揚々とインドのメインバザールに駆け出すと、またしても待ってましたと言わんばかりに、旅行客然としている僕の周りに客引きがゾロゾロと群がってきました。
    今度は朝から昼にかけてだったので、一気に5人くらいが同時にくっついてきます。
    たまらず走って逃げ出そうとしていると、どこからか勇敢な青年が現れ、しつこい客引きを振り払ってくれました。そして俺が案内してやるからついて来いという身振りで僕を誘いました。
    今になって冷静に考えれば、この青年も何ら疑いなく怪しい人物なんですが、初めての海外旅行で一人旅という、少なからず感じていた不安と孤独感から、この青年に少しついて行ってみることにしました。
    歩きながら青年は、デリーの街を一人で歩くことの危険さについて滔々と弁じ続け、何でも俺が助けてやるからと言い聞かせてきます。僕はそれに相槌を打ちながら彼について行きました。

    「海外では誰にも絶対に流されまい。自分だけが頼りなんだ。」

    と心に念を押していたのに、少しでも相手に心を許すと、その決意はなだれのように一瞬にして崩れ落ちてしまいました。

    そして僕はとある旅行会社のデスクに座り、頼んでもないのにこの先1週間の切符の手配から宿泊先の予約までのプランと料金を提示され、悩みに悩んだ末に、契約書にサインしていました。

    僕はこの旅行で、インドの物価は低いからとキャッシュしか持ってきてなかったので、もし旅の途中で現金がなくなれば、その時点で飢え死にです。

    そんな前提がわかっていなかった訳ではないんですが、しっかり考えることもなく契約してしまったのです。これは一つの洗脳なんだなと、後で怖くなりました。

    しかし何はともあれ契約してしまったんだから、もとを取るくらい楽しんでやろうと思いました。

    そして2日目の夜は、その旅行会社の社長さんの家に泊めてもらえるとのことで(※とても良い人なんです!)、バイクの後ろに乗せてもらい、気持ち良くデリーの街並みを駆け抜けていきました。

    ヒンドゥー教とカースト制

    招待されて泊めてもらった旅行会社社長のシャルマさん宅は、当初抱いていた貧しく汚いイメージとはかなり違って、ごく一般的な日本の家庭のような家でした。
    これまでにもたくさんの海外観光客を招待してきたそうで、玄関で遊んでいた小学生くらいの息子さんが、外国人である僕に臆することなく元気に挨拶してくれました。
    リビングには奥さんがいて、まだ幼い子供さんを抱いてテレビを見ていました。
    そして台所に、これまた小学生くらいの肌の黒い男の子がいました。どうも同じ家族という様子ではなかったので、シャルマさんに彼のことを聞くと、その子はシャルマ家のお手伝いさんだということでした。

    インドには日本での江戸時代の四姓に似た、カースト制という職業別の身分制度があり、洗濯・家事を司るその子のカーストはかなり低いものでした。リビングから奥さんの罵声を浴びながら、ただひたすら働いていました。
    僕はそのリビングのソファに座り、黙ってその光景を目の当たりにしていましたが、なんだかいたたまれない気持ちになりました。

    外で遊んでいた息子さんが帰ってくると、僕の横に座ってゲームを始めました。それはなんと任天堂のゲームボーイで、ソフトは初代マリオブラザーズでした。
    僕が小学生のとき熱中していたように、国境も時代も越えて少年たちから愛され続けているマリオと任天堂の存在に、なんだか嬉しくなりました。

    夕食には強烈に辛いカレーを振る舞ってもらいました。日本では辛党を名乗っていた僕ですが、本場の人達にはかないませんでした。涙を浮かべながら「デリシャス!」と社交辞令をまじえつつ、必死になってなんとか食べきりました。

    眠りに就く前に、シャルマさんが僕の泊まっている仏間に入ってきて、祈りを捧げ始めました。10分ほどのとても荘厳な儀式で、見ているこちらまでが神聖な気持ちにさせられ、僕も形式など知らないままに黙祷をしました。
    シャルマさんは毎日この儀式をしていると言っていました。そして我々インド人にとって、ヒンドゥー教とは生活そのものなんだと教えてくれました。

    今日という一日に感謝と反省を込めて、迎える明日に希望を見出すこと。真摯な姿勢で神々と向き合う一人のヒンドゥー教徒の教えは、悠久の昔から続く民族の叡智の重みを僕に伝えてくれました。

    しかしそれと同時に「差別」という残酷な現実も孕んでいるのもまたヒンドゥー教です。家事働きの男の子は玄関の隅っこで眠っていました。
    生活に根差している分、この問題は解決が難しくて深刻なんだなというのが実感です。

    次の日の朝同じようにバイクで事務所に送ってもらってから、次の街への出発まで少し時間があったので、近くの電話屋(インドにはたくさんありました)で自宅に国際電話をかけてみました。電話を取ったのは母で、はじめはものすごくビックリしてるようでしたが、なんとか安心させてあげられました。
    ホームシックにはなりませんでしたが、こちらから連絡しない限り音信不通状態の両親を過度に心配させたくなかったのです。また次の街に着いたら連絡するように伝えて、電話を切りました。

    その後すぐに旅行会社専属の運転手さんがやってきて、お世話になったシャルマさんにお礼を言って車に乗り、砂漠と石の州都ジャイプールに向けて旅立っていきました。

    3日目☆ハイヤーツアー

    今日からの3日間を専属で案内してくれる運転手はディバーンという名前で、黒人系のとても陽気な30歳代中盤くらいのおじさんでした。周りからは『デイブ』と呼ばれていて、僕も『デイブ』と呼んでいました。
    この年代のほとんどのインド人は、日本人にもわかるような卑猥な言葉を連発しては大喜びするんですが、このデイブも例にもれず、車が出発するなりひたすら下品なことを言い続けていました。
    少し落ち着いてきたなと思っていると、今度は質問攻めに遭いました。
    『彼女はいるのか』
    『仕事は何をしているのか』
    『家族は何人いるのか、兄弟はいるのか』
    といったような個人的なことを次から次へと遠慮なく聞いてきます。

    少しうんざりし始めていると、デイブもそれを察したのか、話題はヒンドゥー教のことになりました。デイブの乗っている車内のフロントには3体の小さな神様のレプリカが置かれていて、これがガネーシャでこれがクリシュナでと、それぞれ何の神様なのかを時間をかけてじっくり教えてくれました。
    英語に不慣れな僕にとって、訛りの強いインド英語で宗教の話を理解するのは大変でしたが、メモをとってデイブに見せるとそうだそうだと頷いたり、違うと言ったように首を横に振ったりする仕草から何とかコミュニケーションを取ることができました。

    そんな会話を続けながら、いつの間にか車は首都圏の大混雑を抜けて、殺風景な高速道路をただ西へ進んでいました。デイブはベテランの運転手で安全速度を保って走ってくれるので安心して乗ってられましたが、時々舗装されていない砂利道があったり、驚いたことに、交通規制で反対車線を走らないといけない区間などがあり、けっこうスリルがありました。

    道の途中でサービスエリアのような休憩所に寄って朝食を摂りました。ウエイターが水を出してくれて、喉が渇いていたので一口飲もうとすると、デイブが慌てて制止してきました。口にすると必ず腹痛を起こすから絶対に飲んではいけないと諭されました。
    そんな水なら出すなよと思いましたが、デイブをはじめ周りのインド人は皆平気な顔をしてゴクゴクと飲んでいました。
    それを見て僕も一口だけこっそりチャレンジしてみましたが、口に含んだ瞬間に病気になると思いました。インド人の胃腸の強さには舌を巻きました。

    ハエのたかってくる朝食を摂り終えてまた西へと進んでいくと、昼過ぎにジャイプールに着きました。道の途中で野良牛を見るのに飽きはじめていると、今度は道を闊歩している何頭もの象が現れました。本当に退屈させてくれない国でした。

    ジャイプールでは絹工芸がさかんだから多くの観光客がここで服を仕立てていくんだとデイブが言っているので、興味本位で連れて行ってもらいました。

    仕立て屋の店員は親切にいろんな布を出してきてくれて、実際に作っているところも見せてくれたりしました。
    しかしあまりにも高価だったので帰ろうとすると、店長らしいおじさんに腕を掴まれて、

    『約束と違うじゃないか。もう仕立てはじめてるから金を置いていかないと出られないぞ。』

    のようなことを言っています。僕はこんなデザインがいいだとかは言ってましたが、買うとは一言も言ってませんでした。デイブにも店側の一方的な言い分であることをわかってもらおうと助けを求めると、うつむき加減で

    『もう買ってしまってるのなら仕方ないんじゃないか』

    と言ってきました。

    運転手のデイブが店側に立たれると、僕は改めて見知らぬ街で頼れる人が誰もいないことに気づきました。

    お金がない!

    僕は冷たい空気の流れる店内で一人立ち尽くしていました。

    …この時点での全財産は、バックパックに隠しているUSドルと財布の中身を合わせても約6000ルピー強しかなく、これからの1週間を考えると請求額の5000ルピーなどとても払えません。

    焦りで混乱しそうな頭を出来るだけ冷静にして、打開策を探りました。

    まず最初に浮かんだのは、全てを投げ出してこの場から逃げ去ることでした。
    しかしここでドライバーのデイブを失うと、ガイドブックの地図にも乗っていない辺境の地で一人取り残されることになり、この先5日間の契約済ホテルの予約や鉄道切符も同時に失うことになります。
    これはほとんど死を意味します。何せ1週間分の旅費と生活費としての支払いだったので、もう後には引けません。どう考えてもデイブと一蓮托生するしか生きる道はないのです。

    だからといってデイブについていくなら、デイブがコミッション目当ての『グル』である可能性が高いことを考えると、いくら逃げようにも連れ戻されるだろうし、それに心証を害してこれから3日間のクルージングがとても居心地の悪いものになってしまいます。
    つまり、逃げることはできないのです。だからといって、買うこともできません。
    考えれば考えるほど追い込まれていきました。

    そんな風に考えている間の長い沈黙にしびれを切らした店長が、持ち合わせは全部でいくらなのか聞いてきました。
    僕は財布に入っている分の全てを見せて「これだけだ」というと、

    「大きいバッグにまだいくらか入っているだろう。それにクレジットカードを使えば全く問題はない。」

    と言ってきました。さすがにここまで厚かましいことを言ってくるとは考えていなかったので、正直少し怖くなりました。
    僕にしても断じてそんな大金を支払う訳にはいかないので、ひたすら「いらない、いらない」と繰り返しました。
    しかしいくら押し問答をしても、オーダーメイドとして(向こうの勝手ですが…)作ってしまった服は商品にならないから、安くしても良いから着てもらわなければ困ると引き下がりません。それで仕方なく、僕も少し歩み寄ることにして、1500ルピーまで値下げしてもらって買うことにしました。最初に言ってた5000ルピーという値段は何だったんでしょうか…。

    そして今回の一件で初めて、あと1週間の金銭のやりくりを間違えると一文無しになって本当に帰れなくなってしまうという最悪の事態が現実味を帯びはじめました。
    クレジットカードがあれば多少は送金を受けることもできたんですが、僕は現金しか持ってきていなかったので底をついたらどうしようもありません。
    この不安と危機感は大げさでもなく命に関わることだけに、今後ずっとつきまといました。その日の観光を終えた後のホテルに着いた後も、いかんともし難い焦燥感が沸々と湧いてきて吐きそうになりました。
    僕はガイドブックを隅から隅まで読みあさってもしものときの対策を講じていると、疲れが一気に押し寄せてきて、いつの間にか深い眠りについていました。

    4日目☆インドの朝

    ガイドブックを手にしたまま目覚めたのは朝の5時半でした。ホテルのベッドは思っていたよりも柔らかくて体力も回復しました。
    ベランダに出て静かにたたずむ暁の街並みを眺めていると、どこからか聞こえてくる鐘の音に誘われて、外を散策してみました。

    2月であろうと日中は30℃に迫るインドも、朝はそれなりに冷え込んでシャツ一枚では少し肌寒かったですが、乾期のカラッとした爽やかな風は歩いていて気持ち良かったです。
    鐘の鳴っている寺院を見つけて中を覗いてみると、数人の修道士が焚き火を囲んでお経を唱えていました。その雰囲気は外部の人間を寄せ付けないほどに荘厳なものだったので、僕は汚い泥棒のように物音を立てずこっそりと構内を探索し、参拝者向けの小さな礼拝堂を見つけました。
    『無事に生きていけますように』
    とでも祈っていこうかと目をつぶったところで誰かに肩をポンと叩かれて思わず飛び上がりました。
    振り向くと水汲みをしている少年が、この愚かな外国人を見てクスクス笑っていました。
    ダメ出しをされた後で丁寧に祈り方の形式を教えてくれたので、由緒正しき型をもってして再度『生きて帰りたい』と祈りました。たしかに少し御利益が増した気がしました。

    お腹が減ってきたので、ホテルに戻って昨日受付からもらっていた食券を使って朝食を頼むと、カスみたいなやつが出てきました。ウェイターの人も貧乏者の海外旅行者に対するサービス精神は皆無ですという感じのそっけない態度でした。なんだか悲しくなりました。

    9時になってデイブがホテルに迎えにきました。
    昨日作ったインド服を持ってきていたので、あまりいい気はしませんでしたが早速着てみることにしました。オーダーメイドとはいえ予想外に着心地が良く、色合いも真っ青の上衣と白地のズボンが涼しげで、本意とは裏腹にすぐに気に入ってしまいました。それを着て車に乗り込み、世界遺産の建築物タージ・マハルを見るために、次の街アーグラーに向けて出発しました。

    タージ・マハルのお膝元

    アーグラーへ向かう道中は砂漠のような荒野が延々とひろがっていて、車内は酷暑を窮めていました。
    50キロおきくらいにちょっとした休憩所と売店があり、その何カ所に停まって僕とデイヴの分のミネラルウォーターを買って涼みながらゆっくりと進んでいきました。

    その途中に日本ではお目にかかれないような大きさのカラフルで立派な寺院が見えて、とても気になったので少し寄ってもらうことにしました。
    その寺院はクリシュナという愛を司る神を祀っていて一般の来訪者にも公開しているそうなので、デイヴに連れられて長い階段を登り大聖堂に入ってみました。
    中には様々な容貌をしたクリシュナ神が四方に配置されていて、ひとつひとつじっくり観察してはデイヴに倣って手を合わせて拝んでいきました。
    そして中にいた司祭風の人に10ルピーを寄贈すると、手のひらいっぱいの米菓子と額への赤い印をいただきました。
    少しインド人に近づけたような気がしました。
    寺院を後にしてさらに先へ行くと、畑のそばに野生のクジャクがいてあまりの綺麗さに思わず見とれてしまいました。まわりの砂漠のような風景もあいまって、まるでサファリパークを走っているようでした。

    昼ご飯は僕の財布事情を思ってかデイヴがどこからか買ってきてくれて、車で食べました。さすが現地人だけあってとてもおいしかったです。
    アーグラーに着いたのは夕方になろうかという頃でした。
    助手席に座っているだけでも灼熱地帯を1日中走っているとかなり疲れてしまったので、先に予約済みのホテルにチェックインして軽く休憩を取ったあとでタージマハルを見に行くことにしました。
    気がつけば10キロ近くになっているバックパックを置いてベッドに転がるとすぐに寝入ってしまいそうでしたが、心をグッと鬼にして水のシャワーで汗を流し、新しいシャツに着替えてまた車へと戻っていきました。

    アーグラーはレンガ仕立ての建造物が多く夕暮れ時には街全体が赤黒く染まって色を失っていき、それに反してどこからでも目に入る、ライトアップされた純白のタージマハルだけが街の真ん中で輝きを放っていました。街を見守るというよりも生気を吸い取っているかのようでした。

    デイヴは正面の門から入場すると高額な入場料を取られるからと、大きく回り道をして城の反対側にある穴場に連れて行ってくれました。
    農道のような道を抜けるとヤムナー河の河川敷がどこまでもひろがっていて、河の上に浮かぶようにタージマハルがそびえ立っていました。
    最高のパノラマを目の前にして、どうだと聞いてくるデイヴへの言葉が出てきませんでした。素直に感動しました。

    少し時間をもらって河辺に座ってじっと眺め入りました。タージマハルを見ていると気を病ませる些細なこと全てがどうでもいいことだと思えてきました。

    30分ほど経ってからデイヴが迎えにきて、また少しアーグラーの観光名所をまわりつつホテルに戻ってきました。
    最後の夕食だからと言ってデイヴはまたどこからか、ちょっとリッチなチキンカレーを買ってきてくれていて、ありがたく頂きました。
    クルージングツアーも一通りの観光プランを終えて残すところあと1日となって、デイヴと離れることが少し寂しく思えてきました。

    その日はそのまま何をするでもなくすぐに寝てしまいました。

    5日目☆生きる強さ

    朝はすっかり5時半起きが定着してしまいました。
    インドにいると体が太陽のサイクルに自然となじんでいきました。

    朝食にはいつもの、ピザの生地のようなチャパーティというパンと、大豆をカレーで煮込んだダールというインドの味噌汁、そしてベジタリアンが食べる野菜カレーを食べました。

    このメニューはインド人のオーソドックスな献立なんですが、栄養価が低すぎていくら食べても食べた気がしませんでした。日本の食品がいかに恵まれているか痛感しました。

    その日は夕方に出発する列車に乗るまでの間特にすることもなくて、近くにインターネットカフェがあるということで時間をつぶしに行ってみました。
    インドの通信事情は思っていたより進んでいて、案内の人が日本語で入力できるようにキーボードのフォントを変えたりしてくれて助かりました。
    日本の母の携帯電話に宛ててメールを送ってみました。
    本当は僕も金銭面でかなりの不安と重圧を感じていましたが、弱気なメールで心配させてはいけないと、元気にしてることと帰国する日までの一連の予定と、妹の誕生日を祝う内容のメールを送りました。
    メールのやりとりをして郷愁感というか、少ししんみりしてしまいました。

    ネットカフェを出て、いよいよアーグラーカント駅に向かって最後のクルージングが始まりました。
    インドではサービスをしてくれた人にチップを渡す風習があるので、痛手ではあったんですがデイブに300ルピーを呈示しました。
    しかし、デイブはその金額に納得してくれませんでした。
    しばらく沈黙したあとで携帯の写メールを僕に見せてきました。
    そこには悲惨な家族の様子が写っていました。納屋のような小さな部屋に、デイブの子供たちが所狭しと眠っています。壁には穴があいていてここから雨漏りするだとか、今晩もミルク一杯しか子供たちに与えることができないといったことを説明してきました。
    胸が痛くなりました。しかし僕も命を懸けて帰らなければならないからこれ以上のチップは無理だと主張しました。
    結局根負けというか、400ルピーで納得して何とかその場の収集がつきました。

    普段はとても陽気で優しいデイブですら、こんなに食い下がってくるとは思っていませんでした。
    インドの人達はみんな必死で生きています。
    みんな生きていく苦しみを明るい笑顔に押し込めて暮らしているんです。
    これこそ、インド人のヒンドゥー教に対する深い信仰心の原点だと思いました。

    とうとう駅に着いて、デイブと離れることになりました。
    金銭面で少し張り合ったものの、観光地をまわりながらここまでやって来れたのはデイブのおかげです。
    最後にがっちりと握手をして、サヨナラと言いました。感慨深いものでした。

    駅は人で溢れかえっていて、どのホームから発車してどの列車に乗ればいいかなどを把握するのが難しく、なかなか大変でした。
    また日本では考えられませんが、大抵の人はホームから飛び降りて車体をよじ登って乗車しているし、駅全体で停電が起こったりとハプニング続きで、それが逆にワクワクさせてくれました。
    列車も発車時刻を2時間ほど遅れてやってきました。

    ガンジス川の流れるバナーラスという街へ夜行列車で10時間の旅はまさしく深夜特急でした。
    意気揚々と2階席によじ登って列車の音を聞きながら眠っていきました。

    (つづく)

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